興福寺の国宝館
いわずと知れた「阿修羅像(あしゅらぞう)」が安置されているところです。
興福寺は創建当時から中金堂だけでも7回ほど火災に遭い、8回蘇っています。
火災の度に仏像たちは僧侶によって助け出され、興福寺も再建されています。
(仏像は乾漆造りで軽く運び出せたそう。阿修羅像も15kgほど)
現在、国宝館が建てられている場所はもともとは僧侶が集団で食事をする食堂(じきどう)でした。
そこに昭和34年(1959年)に鉄筋コンクリートの耐火式宝物収蔵庫が建てられ、奈良時代創建当初の食堂の外観を復元し数多くの仏像や寺宝を収蔵、一般公開するための利便性を考慮して設計されたそうです。
その地下には今でも旧食堂の奈良時代以降の遺構がそのままの形で保存されているとのこと。
国宝館には千手観音菩薩像を中心に八部衆(はちぶしゅう)や十大弟子(じゅうだいでし)、天燈鬼(てんとうき)、板彫りの十二神将(じゅうにしんしょう)など数多くの仏像や寺宝があります。
そしてなんといっても有名な「阿修羅像(あしゅらぞう)」
興福寺の阿修羅像は、他の阿修羅像と違い、幼い少年のような顔つきをしています。(左右の顔はそれぞれ思春期、青年期の顔をしているといわれているそうです)
興福寺の阿修羅像はもともとあのようなお顔で作られる予定ではなかったそうで、研究でX線CTスキャンを撮った際、今のお顔の下には全く違うお顔があるそうです。
聖武天皇と光明皇后の間に生まれた子どもが幼くして亡くなり、その子どものお顔を阿修羅像のお顔にしたのではないかという説があります。そのため、幼い少年のお顔と、思春期、青年期のお顔になったのではないか。
阿修羅像だけでなく、他の八部衆も幼い子どものような顔をしているものがおり、光明皇后が亡くなった我が子の成長した姿を具現化したのではないか、とも言われています。
他のお寺の仏像とは少し違う興福寺国宝館の仏像、お顔に注目して見るのも面白いですね。